はじめに

1941年(昭和16年))12月8日、日本軍は、ハワイ島の真珠湾のアメリカ軍基地を攻撃し、アメリカをはじめとする連合諸国に宣戦布告した。真珠湾攻撃は奇襲攻撃であったため、日本は多大な戦果を得たが、アメリカを中心とする連合軍との戦力の差は大きく、その半年後のミッドウエー海戦では惨敗し、しだいに追い詰められていく。戦争末期には、日本本土もたびたび空襲を受けた。昭和20年(1945年)4月1日からアメリカ軍を中心とする連合軍は、沖縄上陸作戦を敢行し、6月23日に日本軍が降伏するまで太平洋戦争史上、民間人も巻き込んで、唯一の地上戦がくりひろげられたが、武器弾薬において決定的に劣る日本軍は多大の犠牲者を出した。たとえば、1976年3月に発表された沖縄県生活福祉部援護課の統計によると、アメリカ軍側の犠牲者は1万2520人に対し、日本側の死者、行方不明者は18万8136人で、沖縄県出身者が12万2228人、そのうち9万4000人が民間人であるという。
さらに人類最初の核兵器である原子爆弾を広島と長崎に落とされ、ついに1945年(昭和20年)8月15日、ポツダム宣言を受けいれて、無条件降伏をした。
勝ち目のない戦争であった。まさに司馬遼太郎氏が次のように言うとおりである。

戦争は補給が決定する。補給が相手よりもはなはだしく劣弱になったときに終了する。旧日本は太平洋戦争において軍需工場 を相手国の空襲によって壊滅せしめられたときに壊滅した。それ以前に、無数の戦線に対し、補充すべき兵員、兵器を送るための船舶がなくなってゆき、燃料も底をつき始めた。さらには国内に飢餓状態がおこった。戦争はその原則どおりに終末すべきときにきて終末し、われわれは敗けた。
(司馬遼太郎『人間の集団について』より)

無条件降伏後の日本は、アメリカを中心とする連合軍総司令部による占領統治を受けることになり、独立国ではなくなった。その混乱の中から、大日本帝国憲法に代わって日本国憲法を定めて、それまで元首であった天皇を象徴とし、戦力を放棄し、基本的人権の尊重し、経済的発展を期して、新生日本として再出発する。 それから、6年後の1951年(昭和26年)9月18日、アメリカのサンフランシスコで、連合諸国と講和条約を結び、1952年(昭和27)年4月28日には発効され、再び独立国となった。世界はアメリカ、イギリスを中心とする資本主義社会と、ソビエトを中心とする社会主義国が冷戦という形で対立し、キューバ危機、朝鮮戦争、ベトナム戦争などのあらたな戦いを展開していく。このなかで、日本は資本主義国側の一員となり、アメリカと安全保障条約をむすびつつ、憲法に定められた戦力放棄条項を根拠に世界のどの国とも戦争状態になることはなく、戦闘によってひとりの兵士も失われることなく、また戦闘によって他国のだれも殺戮することはなく、今日まで来た。[195105181+]
さて、日本国憲法ができてから、64年過ぎた(2009年6月現在)。日本国憲法についてはさまざまな視点からの論議があるものの、これまで一度も変えられること

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